高齢化に悩む竹山団地と神奈川大学サッカー部による地域再生の挑戦 ー大森監督流「人材育成」ー(後編)
横浜市緑区の地域と神奈川大学サッカー部、神奈川県住宅供給公社が手を取り合った「官民共創」による地域再生の挑戦、「竹山プロジェクト」。この記事では、神奈川大学サッカー部大森監督がこの取り組みに至るまでの経緯をを伺いました。
SOURCE大森監督を突き動かす「原点」
横浜市緑区の地域と神奈川大学サッカー部、神奈川県住宅供給公社が手を取り合った「官民共創」による地域再生の挑戦、「竹山プロジェクト」。神奈川大学サッカー部、大森監督の「原点」は一体どこにあるのでしょう。
大森監督は、大学までサッカー選手として本格的に活躍してきましたが、当時は、忍耐強く考えて動くことが苦手で、与えられたチャンスを活かすことができず、ポテンシャルの割に結果を残せなかったと言います。
卒業後は縁あって、サッカー部の強化に乗り出した海上自衛隊に進みました。そこで生活に密着した敷地の芝刈りや皿洗いなどの仕事にも携わることになったそうです。
はじめは嫌で仕方がなかったそういった仕事も、「誰かがしなくてはいけない」と積極的に取り組み始めると、自分の中で大きな変化が現れるのを感じました。同時に、日々の生活においても考え方に変化が生まれ、不思議なことにサッカーにも良い影響が生まれだしたと言います。
それが、プレイヤーとしての結果にも繋がり、キャプテンとして臨んだ国体では、見事全国優勝を果たしました。この気付きをプレイヤーの指導に生かせるのでは、という思いで、指導者の道に進んだのは34歳の頃でした。そして、神奈川大学サッカー部監督就任一年目で、神奈川リーグ優勝、関東リーグへの昇格を果たすことができたのです。
大森監督は、両親が地域で事業を営みながら、地域活動に率先して参加する姿を幼い頃から見ていました。その経験が、自然と「地域に根付いた人材育成がしたい」という思いに繋がり、強豪校からばかりでなく、地元の子どもたちを発掘し、育てることも大切にしてきた理由です。
そういった原体験や指導経験を通し、今回のプロジェクトに行き着きました。「学生たちと一緒に汗をかいて地域に貢献できるビジネスをやりながら、部員の育成が出来たら」と思っていた矢先、一旦離れていた神奈川大学から再度チャンスを頂いて、今日に至ったのです。
COOPERATION国際大会を通して学んだ、広域連携・産学官連携
2018年に、「ONE NATION CUP」という世8カ国の子どもたちを招くサッカー大会を企画し、大森監督が事務局・総務部会長として中心的に携わりました。各国の代表チームが湘南地域の学校を回って日本の文化に触れ、地域の子どもたちと交流する取組みです。
大森監督は、招致活動やキーパーソンの巻き込み、スポンサー獲得に向けた営業、運営、最後の取りまとめまでの全てをリードしました。
最初は、伝手をたどって茅ヶ崎市長を訪問したところから始まりました。そこで「スポーツ界の総意」という流れを作るようアドバイスされ、奥寺康彦さんや湘南ベルマーレの眞壁会長の協力を仰ぎました。スポーツ界を少しずつ巻き込んだところで、茅ヶ崎市長が、平塚市長、大磯町長に声がけを行い、それぞれ実行委員会顧問へと就任しました。
その後大森監督は、経済界、メディア、学校、ホテル、バス会社などを次々と巻き込む、怒涛の1年半を過ごしたと言います。
大森監督はこの取組みを通して、複数の自治体との広域連携や産官学連携、様々なステークホルダーの巻き込みについて学びました。それが今回の竹山プロジェクトにも生きています。いずれも、大森監督の情熱あってこそ実現した取組みだと言えるでしょう。
GOAL日本版スポルトガルデンの実現へ
「ONE NATION CUP」は、ドイツの公益法人「スポルトガルデン」が、事業の一環として行っています。「スポルトガルデン」とは、英語で「スポーツガーデン」のこと。多国籍の人々が集い、スポーツをハブとした交流や、音楽、絵画などの芸術活動、職業体験や動物とのふれあいなど、様々なテーマでの交流が繰り広げられています。
また一方で、学校や家庭で寂しい思いを抱える子どもたちの居場所ともなっており、それは竹山団地での子どもたちや高齢者の居場所づくりにも繋がるものがあります。
様々な国籍の移民を受け入れているドイツ同様、日本でも外国人の労働者や住民が増加する中、言葉は通じなくても、また、年代が違っても、スポーツや自分に興味があることを通して人とのつながりが持てる「スポルトガルデン」のような場を地域に作り、日本に広げていきたい。それが大森監督の描く、次なる夢です。
日本版スポルトガルデン。大森監督の次なる夢の萌芽が、ここ竹山団地に生まれています。夢の実現に向けて、大森監督のさらなる挑戦が続きます。